マフィンって何?
お盆休みに家族で旅行に出かけた。 ホテルでのビュッフェスタイルの朝食でのこと。 3歳の息子がパンやオムレツなど色々食べている中、生まれて初めてマフィンを手に取り、パクパク。 朝食後、しばらくして、朝食で何が美味しかった?という定番の会話をしていたら、息子は、 「ふくらんだパンづめ」 ??? なんのことかよくわからなかったが,朝食を思い返すと、「…マフィン!」 確かに膨らんではいるが、中身は詰まっている! そう理解したのね。 名づけのセンスが面白かった。
お盆休みに家族で旅行に出かけた。 ホテルでのビュッフェスタイルの朝食でのこと。 3歳の息子がパンやオムレツなど色々食べている中、生まれて初めてマフィンを手に取り、パクパク。 朝食後、しばらくして、朝食で何が美味しかった?という定番の会話をしていたら、息子は、 「ふくらんだパンづめ」 ??? なんのことかよくわからなかったが,朝食を思い返すと、「…マフィン!」 確かに膨らんではいるが、中身は詰まっている! そう理解したのね。 名づけのセンスが面白かった。
小1の夏休みがついに我が家にも訪れた。小1の壁とよく言われるが、私も夏休みなんて、会社では関係ないし、どうなるんだろうと心配していた。 いざ、開始。 給食がないので(友人の民間の学童は給食ありで羨ましいと思ったが、うちは学校隣接の市の学童なのでなし)お弁当を用意するという手間は増えたが、小学校低学年のお弁当はそんなに量が多くなく、すぐ作れてしまうので、さほど問題はなし。 朝の登校時間は学童によると思うが、朝の延長を利用申請しなければならない場合もある。我が家の場合は8:30から通常開始で、希望して有料で8:00から入室できることになっている。金額は数千円だったので、問題はなかった。帰宅時間も同様。 終日学童も通常の学校と学童の場合も、親からすると結局登校・帰宅時間は変わらない。子どもによっては飽きてしまうとかで行きたがらない子どももいると結構友人にもいるのでそこが大きな問題になる場合はあり。 うちの場合は、仲の良い友達が同じ学童にいるため、楽しんでいる様子なので、とりあえずは一安心。 勉強時間も午前中に30分程度はあり、宿題をやることができているので、帰宅後にいろいろやる必要は多くなかった。偶々自由研究がない学校だったので、もし自由研究があると少し大変かも…。 というわけで、 あまり通常の学校のある時期と、負担はそれほど変わらないというものだった。 家にいるとTVやYouTubeなどで時間が過ぎちゃうなんてこともありそうなので、結果的には学童で過ごす方が、友達とも遊び、人間関係や新しい知識取得など、経験を積むこともできるので、こういう夏休みも良いことなのかなと思っているところ。 ただ、もし子どもが家にいる夏休みと学童の夏休みどっちも知っていて選択してと言ったら、子どもからして楽なのはやっぱり家だろうと思うので(休みの日は大喜びなので)家にいる夏休みを選ぶのかもなと思ってはしまうけれど…その分稼いだお金で一緒に旅行や新たな学びに使おう!!
仕事と育児と家事をこなすって皆どうやっているんだろう…欲張りだけど全部頑張りたい。でもそれを実現すると、時間に追われ、ぎりぎりで何とかやりくりする日々。子どもにしっかり向き合いし、将来の子どもの教育も考えたい。 仕事も打ち込みたくても時間は限られているから、あきらめないといけないことも多い。 しかし時間はないので、結局毎日急かしながらご飯、お風呂、宿題、歯ブラシ… 家はと言えば、最低限水回りだけ掃除して、超簡単な食事を用意して、家の中はぐちゃぐちゃ… そして自分の時間は睡眠を削って絞り出す。 なんだか仕事も育児も家事も全部中途半端になっている。 こんなことを続けているうちにきっと子どもは大きくなり自立して離れていくんだろうな。 子どもはたくましいから、きっと無事に育つだろう。 でも、その時に、今の生活を送った自分を後悔しないのだろうか。もっとかまってあげればよかったとか、思わないだろうか。 仕事を辞めるという選択肢はある。だけど、これから教育にも投資したいし、旅行だって行きたい。お金が必要だから、やめるに辞められない。 この行き場のない追い詰められた状況ってきっと多くのワーママが経験しているはず。 まだ私もこの解決策は見いだせない。もう少し考えてみよう。
最近本屋や、ネット等でよく耳にするようになった、このSTEM教育、日本でじわじわ広がってきているが、すでにアメリカでは盛んに推奨されるようになってきている。 STEMとは、Science Technology Engineering Mathematicsの略で、科学、技術、工学、数学の教育分野の総称。STEM教育は、これらを個別にではなく、融合させて学ぶ教育のことで、アメリカで、高度な科学技術の発展を目指して唱えられたのが始まり。Art(芸術)も加わってSTEAMと呼ばれることもある。 これからの時代、さらに高度な科学技術が発展していき、AIがこれまで人間がこなしてきた複雑な仕事も処理できるようになったら、そこで人間が担えるものは何かあるの??わが子の将来はどんな仕事が残っているのか不安になりません? そこで大事になるスキルが、自分で考え、問題の解決策や新たなアイディアを生み出すことのできるクリエイティブ思考!! ちなみに、学校でも始まったプログラミング教育は、このSTEM教育の一部で、論理的思考を伸ばそうそうというもの。 実は、プログラミングそのものを学ぶことではなく、プログラミング的思考を学ぶことが本質。(ここ結構勘違いされている…。) コンピューターは、論理的に構築された内容しか理解できないので、プログラミングは、論理的な思考で組み立てるのが必須。その思考の部分を小学校でも学ぼうということなのだけれど、これからの時代は論理的思考だけではなく、新しいものを生み出すというスキルが必要なので、プログラミング以外にもSTEM教育が重要となるんです。
小1になった娘は、友達と遊ぶ約束をするようになった。家に帰るなり、「今度の土曜日、ご飯食べたら◎◎公園で〇〇ちゃんと遊ぶことにしたから」と。え?ごはんって朝ごはん?昼ご飯?お互いの家で予定があったらどうするの・・・? と困惑しつつ自分で予定を決められるようになったことに成長を感じる。 子どもは携帯なんて持っていないので、実際に勘で行くしかない。大分待つこともあるし、来ないこともある。それでも子どもはその状況に応じて一人でも遊ぶし、偶々来ていた別の友達とも遊ぶ。 そういう人間関係や、時間の概念が我々大人とは違って、束縛されていない、子どもの自由な世界がとても羨ましく思った。
3歳の息子がトイレトレーニング真っ最中。概ねパンツを卒業したが、外出時や寝るときはおむつをしている。 上の娘もそうだったが、なぜか、おしっこが究極に漏れそうな時までトイレに行きたがらない。漏れそうでムズムズしながら、今手に持っているおせんべいを持ち続けたまま、食べようとする。そんな状態で食べるおせんべいなど何も美味しくはないだろうにと思うのだが、トイレに誘っても行きたがらない。 かといって、間に合わず、お気に入りの戦隊モノのパンツを濡らしてしまうと、それはまた相当のショックで大泣き。 まだ、事前に予測して、行動するということができない時期なので、こういう失敗を経験しながら成長していくのだろうなと思い、見守っている毎日です。
早く姉の小学生になりたいと、毎日嘆く3歳の息子。 宥めるために、「ママは3歳になりたいなあ」と、いうと、小1の娘が、「小さくは戻れないんだよ」。 すかさず私は「じゃあドラえもんのタイムマシンで戻るわ」と主張すると、更に娘が一言。 「タイムマシンじゃ戻れないよ。戻るならタイムふろしきだよ。」 確かに…。 大した定義を考えてはいなかったが、本質をみていた娘に脱帽。 こどもの純粋な把握力ってスゴい。
最近の食後のブームは、家族4人でのUNOを延々とやることだ。3歳の下の子も数字が分かるようになったので参加出来るようになり、盛り上がっている。これは我が家にとって画期的なことだ。 これまでは、テーブルを囲って(親はビールを飲みながら優雅に)団らんなど皆無で、食事もそこそこに、すぐに馬乗りや肩車など身体を張った遊びで、勿論それも楽しいのだが、、なんだか、家族の成長の段階を経たような気分になったのだ。 カードゲームを家族みんなで出来るようになる日が来たのだと、ひしひしと感動しながら参加している。 最も色々独自ルール(不正?)も多発し、人気のdrow fourカードの取り合いになるなど、最後はメチャクチャになるのだが…
私のいとこの結婚式で、2人の子どもは大役を任された。リングガールと乾杯の挨拶だ。数日前から何回も練習し、「もう覚えた」と練習に飽き飽きした娘と、覚えたんだか非常に怪しい3歳の息子を半信半疑でいざ当日送り出した… しかし私の心配をよそに、6歳の長女は堂々と任務を無事にこなした。弟のセリフも弟に小声で教えることままでできた。人前に出るのは苦手だったのに、いつの間にか頼れるお姉さんになっていた。 弟も頼れるお姉さんがいたから、安心して自分の役目もこなせていた。また弟はなぜか人にウケることが何かを自然と心得ている。世間の「弟あるある」なのではないかと思うが、どういうことをすると人に可愛い、カッコいいといわれるのか体得し、大人たちの人気を得るという何とも羨ましいスキルを身に着けているのだ。
3歳の息子は、寝室に入るとき、大量の玩具を持ち込む。トミカやバズライトイヤーの人形、お気に入りの本を両手いっぱいに抱えて、またはバッグに詰め込んで持ってくる。安心するためなのだろうか。その中で最もその時にお気に入りの玩具を手に握りしめて眠りにつく。見ていてなんともクスっと笑ってしまう。 そして、また面白いのが、寝るよと電気を消した真っ暗な中でも、目を開け続けている。多分寝るということが意識的にできないのだ。眠くないのだから目を閉じる必要もなく、クリクリした目で天井を眺めている。 そのうち、眠くなって自然と瞼が落ち、結果的に寝るのだが、大人とは違う光景がとても興味深い。